極端に走らない政治を望む

有権者として、政治問題に正解がないということは知っている。全国民が同じ問題を抱えているわけがないのだから、ある政策で特をする人もいれば損をする人もいる。

 

だから国のやり方を国民に押し付けるのもよくないし、政府が大衆が求めるものをすべて叶えようとするのは違う。

 

政治はバランス感覚が必要だ。バランス感覚が優れている政治家といえば、大平正芳だと俺は思っている。彼は地味である。

 

中庸を美徳とする

最近は曖昧な態度と小馬鹿にされるかもしれない「どっちつかずの状態」。しかし、それでこそ周囲に波風を立てずに意見をまとめることができる。大平正芳はそうした中庸の考え方を政治信条として掲げている。

 

彼は、日米同盟の強化に力を入れながらも、中国との関係改善にも精をだし国交正常化までこぎつけた。

 

アメリカを取るのか、中国を取るのか、そうした選択肢の中にあって、両方大事だと言って外交に当たった手腕はすごいと思う。

 

台湾・蒋介石とのエピソードは特筆すべきことだ。蒋介石は、日本が中国との国交正常化によって台湾を切り捨てるのではないかと心配して、いかに中国共産党を打倒すべき存在かを大平に説得を試みる。

 

大平はこう返す。日本は民主国家だから国民の総意で決めなきゃいかん。中国共産党であっても「解毒しながら消化していく」形で時間をかけて解決すべきである。極端な行動を起こさないことを決めたのである。

 

教養や哲学を感じる知性

大平正義は大蔵省出身である。当然相当な知識を持っていたはずである。しかし、決して驕らず政治家になってからも、勉学に励み官僚からのレクチャーを受けていた。

 

また、目先の利益に飛びつかず慎重に物事をすすめるタイプであった。派手なプレゼンや立ち振舞は一切せず、原稿を読みながら言葉を選びながらスピーチを行った。

 

相手は結局「何が言いたいかわからない」と思ったかもしれない。

 

しかし政治家としてある一定の集団だけのために端切れのよい演説をするよりも、国民全体の利益を考えると、どうしてもまどろっこしい表現になってしまうのだろう。

 

俺も実はハキハキ立派に話している政治家は胡散臭く感じる。「あー、えー」と吃りながら話しても、俺は気にならない。

 

信念がある

中庸を重んじ、全体最適を常に考える政治家はリアリストなのかというと、そうでもない。大平正芳は理想主義者であった。

 

折り合いのつかない交渉は決裂上等と思って行う。たとえ先輩議員であっても、意見が違う場合にはその旨を表明する(結果、干されたり、主要ポストを外されたりしたようだが)

 

信念といえば、大平正芳は派閥政治を大切に考えていた。派閥政治への不信が高まり、多くの政治家が派閥の解体を目指していた中、大平は派閥の渦中にいながら権力闘争にひた走っていた。

 

派閥はデメリットばかり取りだたされるが、いくつかの功績もある。自民党内で多様な意見を汲み取る受け皿ができることだ。派閥を活かすことで政権への牽制にもなるし、バランサーとして極端な政策に走らないように仕向けている。

 

一つの政策によって利を得る集団と、損を被る集団が生じる。それぞれに配慮した形で整えると、玉虫色の政策になるのである。

 

大平は首相の任期は短くすべきとも考える。全国民が納得する政治などありえない。だから順番に首相になった人間が、一つずつ政策を叶えていくほうが全体最適としてはよくなるはずだ、という信念があったのだろう。

 

燃え尽きる人生

俺が大平正芳に強い印象を持ったのは、彼が首相として死んだからだと思う。総選挙の直前に逝去した。国の最高指導者として人生を終えるなんてドラマチックすぎる。

 

党内の派閥抗争や外交面での交渉など心労祟った結果だったのだろうか、それにしても最後の最後頂点を上り詰めた男の燃え尽きた人生に感銘を覚えるのである。

 

 

現在の政治に目を向けてみれば、長期政権が終わった後の新たな首相選びである。派閥による多数派工作は今もまだ健在である。しかし、どうやら無派閥の官房長官が一歩リードといったところだ。

 

派閥の影響がない政治は極端に走るのだろうか。

 

政治家は自分を支援してくれる人のために国会に立つ。多様な意見が国会に持ち込まれるわけだから、ある一定の意見だけに目を向けず慎重な政治運営を望みたい。

 

 

 

アサーティブであること

自分の意見や気持ちを伝えるとき、必ず相手を意識する。何としてでも自分の意を通そうとすれば、相手の論に反駁する。相手に配慮をすれば自分の意見は控える。

 

前者は相手の敵意を生み、後者は自分の存在感を喪失させる。このバランスを取るのが下手である。相手に配慮しながら控えめに自分の意見を伝えようと思い、細かい芸をする。例えば質問は自分の主張へ繋げる伏線だ。すると相手は詰められていると感じて不快になる。

 

例えば回りくどい表現を使う。すると相手に自分の意など伝わらない。どこか間の抜けた人間と思われるのが落ちである。

 

そこで、第三の自己表現「アサーティブ」である。相手を尊重しながらはっきりと自分の主張を伝える。なかんづく俺が感心したのは手法というよりも考え方である。つまりアサーションでは「相手に同意してもらう必要はない。」

 

そもそも意見を異にすることが悪いことではないのに、自分の主張の正当性を確かめたり、相手と違っていたら困るので主張を引っ込めたりすることを無意識に繰り返す。

 

アサーティブであるには相手の意見を認め自分の意見も認めればよい。相手はこう思う。私はそう思はない。それで十分である。

 

ビジネスや政治を語るときにもこの考えは有効だ。相手がAプランがいいと言う。自分はBプランがいいと思う。その時、Aプランがいかに悪いものかを必死に訴える必要はない。人の意見など変えられないのだ。どちらかを採用するとなったらサイコロで振って決めてもよさそうだ。まずAでやってみて、だめならBを試す。そんな気持ちで自己主張をするのがコツだ。

 

落とし穴がある。それは自分の意見がないとき、また自分の気持ちが曖昧なときだ。アサーティブな表現方法では、素直に考えがまとまらないこと、気持ちが整理できていないことを伝えればよい。

 

相手が明確にAプランを主張していて、自分は特段意見を持たないのに、その主張が気に入らないがためにAプランをけなすのは、相手を尊重していないことになるから駄目である。

 

まとめると、アサーティブな会話というのは、1.自分の気持ちや考えを名確認する。2.相手の意見を受け入れる。3.その上で自分の意見を伝える。4.相手が同意しなくでもそれでよい。という流れですすめるとよさそうだ。

 

物事をすすめるには、相手を説得しなければならないときもある。しかし、説得が相手の意見を潰すようではまずい。その場合には説得ではなく協力を求めるほうが賢い。「君はAプランを推しているけれど、今回はBプランで行かせてくれないか」

 

相手の意見を蔑んだり、論破したりすることに意味はない。そういう輩は、自分の意見がない場合が多い。相手に反応するためには、自分の意見を整理してまとめることが第一歩だ。これが案外難しい。

 

自分の意見をしっかり持っている世の中のリーダーが周囲から批判されたり叩かれたりする一方、俺たち凡人は明確な主張を持てないがゆえに相手への文句を垂れ流しているのだ。

 

 

読書『大義の末』

8月は戦争に関する本3冊目。城山三郎の『大義の末』を読む。本書は、城山氏本人の戦争体験をもとに書かれた私小説といえる作品である。

 

本書を読むと、我々がテレビやメディアで取り扱われる戦争とは別の側面を理解することができる。

 

戦争は多くの人命を奪う、だけでなく「人間のアイデンティティ」を奪うということだ。

 

天皇が中心の思想

日本は太平洋戦争を堺に、大きなパラダイムシフトが起こった。現在の日本と、戦前の日本は同じ国ではない。大きな違いは「天皇」だ。

 

大日本帝国では天皇は日本の君主であった。大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」ということで日本の国体は天皇に帰するわけだ。

 

本書の主人公、柿見が受けた戦前の教育は「天皇がすべて」だった。だから命がけで戦った。沖縄を取られて、本土が焦土化して、最後原爆を2発落とされるまで降伏しなかった。無条件降伏をすれば天皇制がなくなると確信していたから。

 

天皇制こそが彼らの生きる指針であり、自分のアイデンティティの根幹をなす思想である。それがなくなったら生きていけない。何を目標に生きればよいかがわからなくなる。

 

体制が変わっても生きていけるという矛盾

最後に天皇自らが国民に語ることで終わった太平洋戦争。国民は涙を流して嘆く。きっと日本=天皇が連合軍に占拠され、新しい体制が敷かれるだろう。そう思った。

 

ところが、天皇は生き残った。皇室は無傷。象徴という名を使って、人間天皇として国民をまとめていく役割を担う。

 

その時、柿見は問う。「天皇制って何だったのか」

 

自分たちが信じて血を流し、多くの同胞が彼のために戦い命を落とした。それでも、世の中は続いていく。しかも全く違う世界になって。

 

そして周囲は徐々に新しい世界に溶け込んでいく。

 

柿見は担当教師から『大義』という書物を教えてもらい、その生き方・考え方に感銘を受け、命を投げ売って国体に尽くしてきた。

 

しかし『大義』を渡してくれた当の本人はアカ(共産主義)だった。一緒に戦った上官や同僚は戦後の厳しい経済の中で、生計を立てるために信条を捨てた。

 

我を失う柿見は、精神的に追い詰められて奇怪な言動を繰り返すことになる。

 

菊の御紋の入った拳銃を守るために傷を負い、それがために仲間を死なせてしまったという過去のトラウマ。そこまで信じていた天皇制のイメージがもろくも崩れ去る。

 

必死で守ろうとしたもの=天皇制が、アメリカによって別の意味を持って息を吹き返し、かつてと同じ熱狂を誘う。

 

最終的には自分が信じた思想に楯突くようになっていく。

 

なぜ人は戦うのか

 

これは非常にセンシティブな問題である。ある日突然、自分の信じてきたものが失われる、あるいは虚構だと暴かれる。この衝撃は何年も、何十年も後を引く。

 

新しい思想なり体制なりをすんなり受け入れられる人もいる。が、うまく生き抜けるかは別問題。葛藤を抱えながら自分を偽って生きることは辛い。

 

今世の中で起こっている争いも、自分の思想や価値を守るためなのだ。

 

香港では中国共産党からの圧力が増して、彼らの信じる「民主主義」が失われるかもしれない。だから戦っている。民主主義が奪われたら、表現の自由や基本的な人権までも奪われる。

 

しかし、一方で別の不安もある。実は中国共産党の体制側についたほうが幸せだったら。中央集権による管理社会ではより安全で豊かな暮らしができるのかもしれない。

 

「民主主義がなくても生きていける世界がある」ことを実感したら、なんのために尽くしてきたのかと茫然自失になるだろう。

 

それはそれで嫌なのだと思う。

 

つまりアイデンティティの問題は2つある。

 

自分のアイデンティティを壊される恐怖と、別の価値観で生きることができる=アイデンティティが絶対ではなかったことを知る恐怖だ。後者のほうが、事態は深刻だ。

 

夥しい数の犠牲者を出しながら死闘を繰り広げた憎き敵国。その敵国の作った憲法を受け入れ、それによって戦前よりも豊かさを享受できる、となると、自分が信じていた価値観が間違っていたと思い知らされる。

 

柿見がいたるところで「天皇制はどう思うか」と聞いて回っているのは自分の今まで生きてきた証が欲しいように思える。

 

「信じるものがある」というのはある意味悲惨だ。自分の思想や宗教に絶対的な価値を見出している人ほど、それが崩れたときの衝撃は大きいのだと思う。

 

太平洋戦争は、そういう意味で日本人の根幹にある思想や価値を壊したのだと理解できる。

 

翻って現代はどうだろう。俺に限っては特に思想は持たないようにしている。もし仮に日本が中国の属国になって支配されるとなったら、すんなり受け入れるんじゃないか、そんな気もしている。

 

香港や各国の抗議運動などを見ていると、自分の思想や価値の薄っぺらさに気づいて、時々嫌気がさす。

 

 

読書『歴史の教訓』

引き続き戦争関連の本を読んだ。本書を選んだのは著者が元外交官であり、日本版NSC国家安全保障会議)の創設に尽力された方だと知ったからだ。

 

国家の上層部で働く人間のみる歴史観と、俺のような毎日お気楽に暮らしている人間が感じてる歴史観にはどのような相違があるか。そんなことが気になったので手に取ってみた。

 

俺は歴史から学ぶことは大切だとは思っていない。むしろ歴史は繰り返されるとさえ思っている。歴史は人間が作るものであるが、人間の手には負えないとても大きな流れなのだと思っている。

 

できるだけそんな波に呑まれないに神に祈るばかりである。最近は中国の動きが昔の日本みたいだという記事も目にする。言論を封じ込め内部を制圧し、外に向けては拡張主義を貫き海洋進出を図る。国際社会からも非難されている。

 

追いつめられたら戦争かもしれない。そんな諦念さえ覚えるこの頃だ。

 

しかし国の中枢で仕事をしている人間にとって、歴史から何を学び取るかは我々の生命と生活を守るうえでこの上なく重要なのだろう。エリートは先の大戦から何を汲み取って現代に活かそうとしているのか。

 

気になった点を記しておく。

 

リーダーシップ

 黒船来航から始まる欧米列強の帝国主義支配のうねりの中で、欧米に対抗しうる国民国家を建設すべく、幕末の志士たちは明治維新を起こした。

 

著者によれば、幕末の英傑たちが政治の中心にいたときは、彼らが欧米列強のアジア支配に対して冷徹な目で、外交上の駆け引きをうまくやっていたという。陸奥宗光のような優れた人物の手腕によって、日清、日露戦争をやり抜いた。

 

ところが幕末の英雄たちが去ったのち、彼らの強烈なリーダーシップを引き継ぐ器量の人間が現れなかったことで、日本政府は泥沼にはまり込んでいく。著者はリーダー人材の不足が外交戦略の失敗につながったとみている。

 

俺のような庶民が、リーダーを待ち望むのは当然だが、国を率いるリーダーの立場にいる人物までもが、強いリーダーの登場を期待しているのには驚きだ。

 

ある特定の人物が世の中を変えてくれると期待し続けて、その期待を裏切られ、幻滅し、また他の誰かに期待を寄せる。庶民から組織のトップエリートまでそんな感覚を持ち合わせている。

 

まだ我々の求める人物は出てきていないが、いつまで待ち望むのだろうか。

 

憲法の解釈

著者は日本帝国憲法統帥権の解釈をめぐる争いを「憲政史上最大の失敗」と評した。帝国憲法における天皇統帥権が軍部に利用されることで、シビリアンコントロールを失った。

 

第一次世界大戦後、海軍軍縮条約を皮切りに軍部から反発の動きが生まれる。絶妙なタイミングで野党が国会で放った憲法論議が、統帥権の独立問題を呼び起こし、軍部への追い風になっていく。著者は当時の政治家(野党)を厳しく非難している。

 

翻って、現代の日本である。国会に目を転じてみるとデジャヴを思わせる憲法議論が展開されている。焦点は憲法9条。自衛隊集団的自衛権の行使をめぐって、与野党で論争を巻き起こす。

 

なんだか海外情勢も緊迫してきている。教訓というか、歴史は繰り返されるという証左だろう。

 

普遍主義

著者は普遍主義的な価値観を称賛する。法、自由、民主主義、人権など美しい言葉で並べられる普遍主義が広がれば、おのずと戦争は終わる。そう信じている。

 

世界を席巻する欧米列強の帝国主義との攻防に幕末から80年以上も耐えてきた。その間に民族自決という考えが生まれ、国際機関による基本的人権や法による思想が広がっていった。

 

日本には、帝国主義が瓦解していくのをじっと耐えながら待つという選択肢があったという。無理に戦争を仕掛けずとも機が熟せば普遍主義的価値観が、植民地支配を終わらせることができたと著者は信じている。

 

おそらく戦争を経験した世代を知っているから、普遍主義的価値観を礼賛するのだろう。高度経済成長期に生まれた俺たちにとって、今の世の中がマシとも思えない。

 

社会にはいまだに独裁があり、人種差別があり、貧困があり、嘘や欺瞞がある。普遍主義を名目とした戦争すらある。結局、自分勝手に生きられるようになったという話だろう。

 

理想に燃える外交官と違い、「世の中こんなもんだろう」という諦めの中で我々は生きている。

 

一つ上の視点?

以上に記した3つの点は、俺にとっての違和感だ。

 

世の中を変えられるリーダーなんて待っていても仕方がない。自分が動くしかないのだ。

 

今も昔も憲法を解釈なんて論争の的だ。憲法自体完璧じゃないのだから。大いに茶々を入れて議論すべきだ。

 

普遍主義的な価値観がそこまでありがたいとは思わない。今の世の中も、そんな価値観が広まっているとも思わない。

 

一段上の視点で歴史をみるということは、こういうことなのだな。

 

 

書店での出会いが少ない今日このごろ

最近、書店でおもしろそうな本に出会わない。俺の感覚が鈍ってきたのだろうか。今日も仕事帰り1時間ほど書店を探索したが、一冊も買わずに帰途についた。

 

帰り道、スマホをいじりながら考えた。俺のアンテナの故障か、書店の問題か。1時間を潰してしまった不満を、書店の問題に昇華してみる。

 

品揃え・レイアウトの問題

そもそもEC隆盛の時代、わざわざ足を運んで書店で本を買うのには理由がある。書店の価値は、あらゆるジャンルの本が歩くだけで把握できるレイアウトにある。そこで思わぬ本に出会うわけだ。この「目に留まる」という体験は、Amazonをはじめとするネットショップでは提供できない価値であろう。

 

ネットショップではあらかじめベストセラーがランキング順で表示され、自分の閲覧した記録から、いくつかの本がリコメンドされる。画面に表示される本がベストセラーや関連本だけでは、自分の意識の外にある、偶然見つけた面白そうな本に出会うわけがない。

 

欲しい本があって、それを探すには圧倒的にネットが便利だが、思いがけない出会いは期待できない。

 

しかし、ここのところ書店のレイアウトがネットに寄せてきているように感じる。だいたい書店で積まれている本がおなじみの顔ぶれだ。

 

ニュースをわかりやすく解説する男。外務省出身のごつい体躯の角刈りの男。時代の寵児ともてはやされ言動に注目が集まる実業家。右派に人気のスキンヘッドベストセラー作家。

 

どの書店のあらゆる導線にも、彼らの本は当て込められている。書店は一体、読んでほしい本を売っているのか、はたまた売れている本だから置いているのか。ビジネスなのだから当然後者だろう。であれば俺はお呼びでない客だ。

 

本がネットで要約されている問題

特にビジネス系の書籍に多いのだが、大概の本はネットで誰かがまとめてくれている。こういう本はポイントさえわかればいいから、要約さえ読めれば問題ない。

 

また最近は出版前の本も、出版社がプロモーションを仕掛けている。便利なことに「こんな人にオススメ」とターゲットも絞りに来ている。

 

Youtubeあたりでは、動画を使って読んだ本の解説まで丁寧にしてくれるコンテンツもある。

 

こんな手厚い読書サポートがある世の中では、気になる本があったとしても買わない。まずネットでどんな本かを調べるからだ。調べなければいいが、買って損はしたくないから無意識に確認してしまう。

 

かくして気になる本も調べてから買うという奇妙な行動を生むようになった。

 

映像化されすぎている問題

 小説コーナーは立ち寄るだけで辛い。帯に俳優の顔が登場するのである。想像を楽しむコンテンツに映像をはめることで台無しだ。

 

久しぶりに太宰治でも読もうかしらと作品を手にとったら、小栗旬がいるではないか。映像の影響度は計り知れない。脳内に刷り込まれたら、否が応でもイメージが湧いてくる。俺にとっては恐怖でしかない。

 

そもそも昔から映像化したら小説のカバーに俳優が映っていた。最近は更に増えていると感じる。映像コンテンツがもっと身近になったからだろうか。チャンネル数が増えているからか。番宣だとしても、本のカバーや帯に主演の顔を入れないでほしいと切に願っている。

 

最近の書店の問題点、もとい書店への不満を列挙してみた。

 

こうなってくると書店で宝探しが始まる。なんとか面白そうな本がないかを隈なく探し回るわけである。気がつけば1時間も滞在している。

 

ふらっと立ち寄って、目に留まるなんてことが期待できない。

 

本を探す作業になっているなら、もはやネットでいいだろうという結論になってしまう。しかし残念ながらそれでも俺は書店に行くだろう。俺にとって書店には別の価値がある。

 

ページをめくる感触と本から放たれるかすかな紙の香りだ。気持ちを落ち着ける、俺のルーティンだ。

 

だから失くなっては困る。ネットでしか本が買えなくなっては困るのである。

 

だからこそ言いたい。「ネットに寄せるな。有名人の書いた著書に忖度するな」と。

 

 

 

ダイエット方法をあらためるべきか

体重がまた増えた。

 

ジムに通っていた時は、65kgまで絞れたにもかかわらず、69kgと実に4kgのリバウンドである。コロナの影響ですっかりジムに行けなくなってからは、一度退会して家でのトレーニングを目論んでいた。

 

しかし、惰性的な性格ゆえ自粛期間はたっぷりと自分を甘やかしてきた。家には数え切れぬほどの誘惑があることにあらためて気づいたのである。一度腰を下ろしたら二度と立ち上がれぬソファーに、目の前には誰も見ないが流しっぱなしのテレビがついている。冷蔵庫のビールは、いつでも手に取ってもらっても問題ないと言わんばかりにキンキンに冷えている。おかげで立派なビール腹である。

 

今回の件を通して一つ確かなことがわかった。私のような太りやすい体質の人間は、ジム通いは向かない。運動をやめたら太ることが証明されたわけだ。つまり、ジム通いを半永久的に続け、運動をし続けなければ意味がないのだ。

 

しかしどうだろう。これからの人生の中で、この先ずっとジムに通い続けるなんてことが考えられるだろうか。仮にコロナがこなかったとしても、いつかどこかの時点で退会していたに違いない。だとすると、やめた時点で5000円程の月謝を払って維持してきた体型は無駄に終わるということではあるまいか。

 

百歩譲って、私が自らの意思が固く毎日のトレーニングを欠かさないストイックな人物だとしても、終わるときがくるはずである。それは私の意思とは無関係に。例えば、事故によって全治1ヶ月のケガを負った場合、おそらくその習慣は途切れる、と同時に体型が元に戻る。

 

体重を増やさないことを目的としたジム通いは、相当にコストパフォーマンスが悪いと言ってよいだろう。では、外を走るのはどうだろうか。これも同じである。毎日20分以上のジョギングは内臓脂肪の燃焼には持ってこいと言われている。しかし、ジョギングという習慣をこの先ずっと続けるなんて不可能なのではないか。

 

仮に10年続けたとしても、11年目に走らなくなったら10年の努力が水の泡になる。そんなことを考えていたら、結局ダイエットは自分の自然な生活パターンの中に見出すべきだと思えてきた。

 

自分の自然な生活パターンとは何か。それは朝起きて、ご飯を食べて、寝ること。これほど不変的な生活パターンはないのである。つまるところダイエットの胆は食事なのだ。

 

これまでは消費カロリーを軸にダイエット計画を立ててきたが、摂取カロリーの制限に重きをおいてダイエットをやってみよう。

 

農林水産省のホームページには、成人男性の1日に必要なエネルギー量が記されている。成人男性でも活動量に違いがあるので、3つに分けている。活発な運動習慣を持っている人は3000kcalは消費するゆえ、それ相応の食べ物を食べることを勧めている。

 

私は普通=「座り仕事が中心だが、軽い運動や散歩などをする人」に当てはまりそうだから2000kcal~2400kcalである。

 

とすれば1日の摂取量を2000~2400以内に抑えれば、論理的には痩せるはずである。

 

摂取カロリーの早見表を見てみると、1日3食でなんとかギリギリ消費カロリーを下回る計算だ。

www.tanita.co.jp

 

となると、食事ダイエットで真っ先に削るべきは、間食であり、酒である。これは曲者だ。家にはビールもあるし、駅から自宅までの距離に3件ほどコンビニもあるからである。お気に入りのソファでテレビを見ながらの間食タイムが至福の時だ。

 

答えは目の前にある。朝昼晩だけ食べていれば太らないはずである。しかし、これを実践するのは辛い。摂取カロリーの制限だけでは耐えられず、ジムを利用して消費カロリーを増やす気持ちが痛いほどよくわかる。

 

走る方がともすれば楽なのではないか。

 

調べていくうちに憂鬱になってきた。ひとまずビールでも飲んで明日に備えるとするか。

 

 

 

 

 

 

読書『ノモンハン 責任なき戦い』

この季節になると書店に戦争関連の本が並ぶ。毎年、何気なく買って読む。今回はノモンハン事件に関する本を買った。

 

戦後75年だという。いつまでも戦争関連の本が読まれるのは、戦争を風化させたくないという社会の意志だけだろうか。

 

私はこの戦争からたくさんの教訓が得られるからだと思う。

 

本書はノモンハン事件の検証ドキュメントである。1939年にソ連に大敗を喫したこの出来事の反省が十分になされていたならば、日本は太平洋戦争に進まなかったのではないか、という通説のもと、ノモンハン事件での日本の失敗を当事者のインタビューや資料から分析している。

 

私が本書から見出したノモンハン事件の反省点は3つである。

 

1)人・組織への盲目的な信頼 

 ノモンハン事件を起こしたのは関東軍である。関東軍満州事変で中国大陸の一部を手に入れたことで、すこぶる評判がよかった。

 

関東軍はいつしか軍部エリートの出世コースになっていった。それゆえ陸軍本部は関東軍に対して一目置くようになり、干渉を弱めた。彼らの動きを黙認したのである。

 

関東軍のエリートへの過剰な期待と権限移譲も、身内による奇妙な信頼感から生じていた。例えば辻政信は、少佐という身分に関わらず大権を振るい軍を動かした。明らかな劣勢を招いた時でも、辻への信頼は揺るがなかった。

 

理由はエリートコースをたどる人脈だ。彼の上司もまた影響力を持つ人物であり、彼のお墨付きをもらっている以上、上層部は閉口するしかなかった。

 

「彼ならやってくれる」「彼らの気持ちを尊重」といった、身内の温情主義が、冷徹な現状分析を鈍らせる。

 

どこかで実績を出した人物が別の部署配属になる時も、勝手に周囲は「彼ならできる」と思うだろう。いつの間にか人に依存してしまうことはよくある。

 

2)情報に対する鈍感さ

関東軍および日本軍の、ソ連に対する読みが非常に甘かった。関東軍は、ソ連がドイツと対峙する西に注意が向いていて、積極的にアジアに参戦してくるとは思っていなかった。

 

ところが、ソ連はドイツと関係改善に動いており、アジアの状況もすべてモスクワに集まっていた。さらにモンゴルや中国への軍事支援の準備も念頭に置いて動いていた。

 

ロシアの情報を持つ高官が、関東軍に対してロシアが最新兵器をアジアへ配備する気配があると進言しても、彼らは取り合わなかった。その情報の裏をとることもしなかった。

 

ここでも、身内への温情が冷静な判断の邪魔をする。辻政信は、命をかけて戦っている仲間の戦意を喪失してしまうことを懸念し、誰にも何も相談せずに独断で情報を遮断している。

 

甘いのは敵国の分析だけではない。関東軍ノモンハンの地理にも十分な調査をしなかった。昼間は40℃にもなる猛烈な暑さに襲われ、水もない。夜には10℃まで冷え込む寒さが襲う。

 

雨など降れば一睡もできず夜を明かす。過酷すぎる環境の中、ほとんどなんの準備もなく戦わされた兵士は次々と命を落としていった。

 

さらにいえば、ソ連軍が位置する場所は、関東軍の場所に対して15mほど高台にあった。そのためソ連軍は、攻めてくる関東軍が丸見えであった。地理的な条件で優位に立っているソ連が勝つのは当然の帰結であった。

 

情報は結果を左右する。これは戦争に限らない。

 

3)撤退戦略の欠如

サンクコストという言葉がある。もう取り返しのつかないダメージを受けたときに、挽回に走るのではなく、撤退するほうが懸命な判断のときもある。

 

ノモンハンの戦いは明らかに泥沼であった。戦闘機や武器の数も性能も、断然劣っていた。続けていても勝ち目がないことはわかっていた。

 

少なくとも遠目で戦況を把握していた陸軍本部は幾度となく撤退を関東軍に求めた。しかし彼らは戦い続けた。

 

この戦いで死んだ兵士への弔いだ。彼らの死を無駄にしたくない。失ったものは取り戻せない。しかし彼らには退くという選択肢はなかった。

 

それに加えて、彼らは陸軍エリートである。負けることが許されない、と思い込んでいる。撤退は日本陸軍にとって不名誉であるばかりか、そんなことありえないのである。

 

欧米企業にはイグジット戦略という用語がある。ダメージを最小限にして撤退するための基準をあらかじめ用意しておく。見事に散ることこそが日本男児という思想とは随分違う。

 

引き際がわからなくなるのは、行動経済学でも指摘されている通りだ。ギャンブルで負けこむと、失ったお金を取り戻すために賭けをやめられなくなる。

 

費やしてきた労力、時間、そしてお金への執着が強いほど、”やめどき”を見失うものである。

 

最大の反省点は、反省しなかったこと

ノモンハン事件日本兵2万人以上の犠牲を出し、惨敗を喫した。この失敗で関東軍の地位は揺らいだのか。答えは否である。

 

ノモンハン事件で責任をとったのは指導的立場にいた辻政信らではなく、現地で激戦を繰り広げた師団の団長らだった。

 

上層部は別のポストに移っただけ。上層部が変わることは、敗戦の総括をしなかったことを意味する。「なぜ負けたのか」を検証せずに、軍としての弱点や戦況の分析を怠ったことで、結果的に太平洋戦争まで突き進んだ。

 

本書の通り、ノモンハン事件は存在しなかったように扱われてきたのだ。臭いものには蓋をした。

 

特に国民に対して、戦って死んでいった軍人の遺族に対して、ずっと真実を隠してきた。実に残酷な話である。

 

「なぜ負けたのか」ではなく、「次は勝つ」「どんまい、次がんばろうぜ」という言葉がでてきたら、事実から目を背ける態度だと思ったほうがよい。

 

これだけ悲惨な結末まで紛争を長引かせ、多くの同志が命を落としたのに、男たちはあまりにも鮮やかに過去を忘却できるのである。

 

人間とはかくも恐ろしく愚かな生き物であろうか。