読書『ノモンハン 責任なき戦い』
この季節になると書店に戦争関連の本が並ぶ。毎年、何気なく買って読む。今回はノモンハン事件に関する本を買った。
戦後75年だという。いつまでも戦争関連の本が読まれるのは、戦争を風化させたくないという社会の意志だけだろうか。
私はこの戦争からたくさんの教訓が得られるからだと思う。
本書はノモンハン事件の検証ドキュメントである。1939年にソ連に大敗を喫したこの出来事の反省が十分になされていたならば、日本は太平洋戦争に進まなかったのではないか、という通説のもと、ノモンハン事件での日本の失敗を当事者のインタビューや資料から分析している。
私が本書から見出したノモンハン事件の反省点は3つである。
1)人・組織への盲目的な信頼
ノモンハン事件を起こしたのは関東軍である。関東軍は満州事変で中国大陸の一部を手に入れたことで、すこぶる評判がよかった。
関東軍はいつしか軍部エリートの出世コースになっていった。それゆえ陸軍本部は関東軍に対して一目置くようになり、干渉を弱めた。彼らの動きを黙認したのである。
関東軍のエリートへの過剰な期待と権限移譲も、身内による奇妙な信頼感から生じていた。例えば辻政信は、少佐という身分に関わらず大権を振るい軍を動かした。明らかな劣勢を招いた時でも、辻への信頼は揺るがなかった。
理由はエリートコースをたどる人脈だ。彼の上司もまた影響力を持つ人物であり、彼のお墨付きをもらっている以上、上層部は閉口するしかなかった。
「彼ならやってくれる」「彼らの気持ちを尊重」といった、身内の温情主義が、冷徹な現状分析を鈍らせる。
どこかで実績を出した人物が別の部署配属になる時も、勝手に周囲は「彼ならできる」と思うだろう。いつの間にか人に依存してしまうことはよくある。
2)情報に対する鈍感さ
関東軍および日本軍の、ソ連に対する読みが非常に甘かった。関東軍は、ソ連がドイツと対峙する西に注意が向いていて、積極的にアジアに参戦してくるとは思っていなかった。
ところが、ソ連はドイツと関係改善に動いており、アジアの状況もすべてモスクワに集まっていた。さらにモンゴルや中国への軍事支援の準備も念頭に置いて動いていた。
ロシアの情報を持つ高官が、関東軍に対してロシアが最新兵器をアジアへ配備する気配があると進言しても、彼らは取り合わなかった。その情報の裏をとることもしなかった。
ここでも、身内への温情が冷静な判断の邪魔をする。辻政信は、命をかけて戦っている仲間の戦意を喪失してしまうことを懸念し、誰にも何も相談せずに独断で情報を遮断している。
甘いのは敵国の分析だけではない。関東軍はノモンハンの地理にも十分な調査をしなかった。昼間は40℃にもなる猛烈な暑さに襲われ、水もない。夜には10℃まで冷え込む寒さが襲う。
雨など降れば一睡もできず夜を明かす。過酷すぎる環境の中、ほとんどなんの準備もなく戦わされた兵士は次々と命を落としていった。
さらにいえば、ソ連軍が位置する場所は、関東軍の場所に対して15mほど高台にあった。そのためソ連軍は、攻めてくる関東軍が丸見えであった。地理的な条件で優位に立っているソ連が勝つのは当然の帰結であった。
情報は結果を左右する。これは戦争に限らない。
3)撤退戦略の欠如
サンクコストという言葉がある。もう取り返しのつかないダメージを受けたときに、挽回に走るのではなく、撤退するほうが懸命な判断のときもある。
ノモンハンの戦いは明らかに泥沼であった。戦闘機や武器の数も性能も、断然劣っていた。続けていても勝ち目がないことはわかっていた。
少なくとも遠目で戦況を把握していた陸軍本部は幾度となく撤退を関東軍に求めた。しかし彼らは戦い続けた。
この戦いで死んだ兵士への弔いだ。彼らの死を無駄にしたくない。失ったものは取り戻せない。しかし彼らには退くという選択肢はなかった。
それに加えて、彼らは陸軍エリートである。負けることが許されない、と思い込んでいる。撤退は日本陸軍にとって不名誉であるばかりか、そんなことありえないのである。
欧米企業にはイグジット戦略という用語がある。ダメージを最小限にして撤退するための基準をあらかじめ用意しておく。見事に散ることこそが日本男児という思想とは随分違う。
引き際がわからなくなるのは、行動経済学でも指摘されている通りだ。ギャンブルで負けこむと、失ったお金を取り戻すために賭けをやめられなくなる。
費やしてきた労力、時間、そしてお金への執着が強いほど、”やめどき”を見失うものである。
最大の反省点は、反省しなかったこと
ノモンハン事件は日本兵2万人以上の犠牲を出し、惨敗を喫した。この失敗で関東軍の地位は揺らいだのか。答えは否である。
ノモンハン事件で責任をとったのは指導的立場にいた辻政信らではなく、現地で激戦を繰り広げた師団の団長らだった。
上層部は別のポストに移っただけ。上層部が変わることは、敗戦の総括をしなかったことを意味する。「なぜ負けたのか」を検証せずに、軍としての弱点や戦況の分析を怠ったことで、結果的に太平洋戦争まで突き進んだ。
本書の通り、ノモンハン事件は存在しなかったように扱われてきたのだ。臭いものには蓋をした。
特に国民に対して、戦って死んでいった軍人の遺族に対して、ずっと真実を隠してきた。実に残酷な話である。
「なぜ負けたのか」ではなく、「次は勝つ」「どんまい、次がんばろうぜ」という言葉がでてきたら、事実から目を背ける態度だと思ったほうがよい。
これだけ悲惨な結末まで紛争を長引かせ、多くの同志が命を落としたのに、男たちはあまりにも鮮やかに過去を忘却できるのである。
人間とはかくも恐ろしく愚かな生き物であろうか。