読書『歴史の教訓』
引き続き戦争関連の本を読んだ。本書を選んだのは著者が元外交官であり、日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に尽力された方だと知ったからだ。
国家の上層部で働く人間のみる歴史観と、俺のような毎日お気楽に暮らしている人間が感じてる歴史観にはどのような相違があるか。そんなことが気になったので手に取ってみた。
俺は歴史から学ぶことは大切だとは思っていない。むしろ歴史は繰り返されるとさえ思っている。歴史は人間が作るものであるが、人間の手には負えないとても大きな流れなのだと思っている。
できるだけそんな波に呑まれないに神に祈るばかりである。最近は中国の動きが昔の日本みたいだという記事も目にする。言論を封じ込め内部を制圧し、外に向けては拡張主義を貫き海洋進出を図る。国際社会からも非難されている。
追いつめられたら戦争かもしれない。そんな諦念さえ覚えるこの頃だ。
しかし国の中枢で仕事をしている人間にとって、歴史から何を学び取るかは我々の生命と生活を守るうえでこの上なく重要なのだろう。エリートは先の大戦から何を汲み取って現代に活かそうとしているのか。
気になった点を記しておく。
リーダーシップ
黒船来航から始まる欧米列強の帝国主義支配のうねりの中で、欧米に対抗しうる国民国家を建設すべく、幕末の志士たちは明治維新を起こした。
著者によれば、幕末の英傑たちが政治の中心にいたときは、彼らが欧米列強のアジア支配に対して冷徹な目で、外交上の駆け引きをうまくやっていたという。陸奥宗光のような優れた人物の手腕によって、日清、日露戦争をやり抜いた。
ところが幕末の英雄たちが去ったのち、彼らの強烈なリーダーシップを引き継ぐ器量の人間が現れなかったことで、日本政府は泥沼にはまり込んでいく。著者はリーダー人材の不足が外交戦略の失敗につながったとみている。
俺のような庶民が、リーダーを待ち望むのは当然だが、国を率いるリーダーの立場にいる人物までもが、強いリーダーの登場を期待しているのには驚きだ。
ある特定の人物が世の中を変えてくれると期待し続けて、その期待を裏切られ、幻滅し、また他の誰かに期待を寄せる。庶民から組織のトップエリートまでそんな感覚を持ち合わせている。
まだ我々の求める人物は出てきていないが、いつまで待ち望むのだろうか。
憲法の解釈
著者は日本帝国憲法の統帥権の解釈をめぐる争いを「憲政史上最大の失敗」と評した。帝国憲法における天皇の統帥権が軍部に利用されることで、シビリアンコントロールを失った。
第一次世界大戦後、海軍軍縮条約を皮切りに軍部から反発の動きが生まれる。絶妙なタイミングで野党が国会で放った憲法論議が、統帥権の独立問題を呼び起こし、軍部への追い風になっていく。著者は当時の政治家(野党)を厳しく非難している。
翻って、現代の日本である。国会に目を転じてみるとデジャヴを思わせる憲法議論が展開されている。焦点は憲法9条。自衛隊の集団的自衛権の行使をめぐって、与野党で論争を巻き起こす。
なんだか海外情勢も緊迫してきている。教訓というか、歴史は繰り返されるという証左だろう。
普遍主義
著者は普遍主義的な価値観を称賛する。法、自由、民主主義、人権など美しい言葉で並べられる普遍主義が広がれば、おのずと戦争は終わる。そう信じている。
世界を席巻する欧米列強の帝国主義との攻防に幕末から80年以上も耐えてきた。その間に民族自決という考えが生まれ、国際機関による基本的人権や法による思想が広がっていった。
日本には、帝国主義が瓦解していくのをじっと耐えながら待つという選択肢があったという。無理に戦争を仕掛けずとも機が熟せば普遍主義的価値観が、植民地支配を終わらせることができたと著者は信じている。
おそらく戦争を経験した世代を知っているから、普遍主義的価値観を礼賛するのだろう。高度経済成長期に生まれた俺たちにとって、今の世の中がマシとも思えない。
社会にはいまだに独裁があり、人種差別があり、貧困があり、嘘や欺瞞がある。普遍主義を名目とした戦争すらある。結局、自分勝手に生きられるようになったという話だろう。
理想に燃える外交官と違い、「世の中こんなもんだろう」という諦めの中で我々は生きている。
一つ上の視点?
以上に記した3つの点は、俺にとっての違和感だ。
世の中を変えられるリーダーなんて待っていても仕方がない。自分が動くしかないのだ。
今も昔も憲法を解釈なんて論争の的だ。憲法自体完璧じゃないのだから。大いに茶々を入れて議論すべきだ。
普遍主義的な価値観がそこまでありがたいとは思わない。今の世の中も、そんな価値観が広まっているとも思わない。
一段上の視点で歴史をみるということは、こういうことなのだな。