アサーティブであること

自分の意見や気持ちを伝えるとき、必ず相手を意識する。何としてでも自分の意を通そうとすれば、相手の論に反駁する。相手に配慮をすれば自分の意見は控える。

 

前者は相手の敵意を生み、後者は自分の存在感を喪失させる。このバランスを取るのが下手である。相手に配慮しながら控えめに自分の意見を伝えようと思い、細かい芸をする。例えば質問は自分の主張へ繋げる伏線だ。すると相手は詰められていると感じて不快になる。

 

例えば回りくどい表現を使う。すると相手に自分の意など伝わらない。どこか間の抜けた人間と思われるのが落ちである。

 

そこで、第三の自己表現「アサーティブ」である。相手を尊重しながらはっきりと自分の主張を伝える。なかんづく俺が感心したのは手法というよりも考え方である。つまりアサーションでは「相手に同意してもらう必要はない。」

 

そもそも意見を異にすることが悪いことではないのに、自分の主張の正当性を確かめたり、相手と違っていたら困るので主張を引っ込めたりすることを無意識に繰り返す。

 

アサーティブであるには相手の意見を認め自分の意見も認めればよい。相手はこう思う。私はそう思はない。それで十分である。

 

ビジネスや政治を語るときにもこの考えは有効だ。相手がAプランがいいと言う。自分はBプランがいいと思う。その時、Aプランがいかに悪いものかを必死に訴える必要はない。人の意見など変えられないのだ。どちらかを採用するとなったらサイコロで振って決めてもよさそうだ。まずAでやってみて、だめならBを試す。そんな気持ちで自己主張をするのがコツだ。

 

落とし穴がある。それは自分の意見がないとき、また自分の気持ちが曖昧なときだ。アサーティブな表現方法では、素直に考えがまとまらないこと、気持ちが整理できていないことを伝えればよい。

 

相手が明確にAプランを主張していて、自分は特段意見を持たないのに、その主張が気に入らないがためにAプランをけなすのは、相手を尊重していないことになるから駄目である。

 

まとめると、アサーティブな会話というのは、1.自分の気持ちや考えを名確認する。2.相手の意見を受け入れる。3.その上で自分の意見を伝える。4.相手が同意しなくでもそれでよい。という流れですすめるとよさそうだ。

 

物事をすすめるには、相手を説得しなければならないときもある。しかし、説得が相手の意見を潰すようではまずい。その場合には説得ではなく協力を求めるほうが賢い。「君はAプランを推しているけれど、今回はBプランで行かせてくれないか」

 

相手の意見を蔑んだり、論破したりすることに意味はない。そういう輩は、自分の意見がない場合が多い。相手に反応するためには、自分の意見を整理してまとめることが第一歩だ。これが案外難しい。

 

自分の意見をしっかり持っている世の中のリーダーが周囲から批判されたり叩かれたりする一方、俺たち凡人は明確な主張を持てないがゆえに相手への文句を垂れ流しているのだ。