書店での出会いが少ない今日このごろ

最近、書店でおもしろそうな本に出会わない。俺の感覚が鈍ってきたのだろうか。今日も仕事帰り1時間ほど書店を探索したが、一冊も買わずに帰途についた。

 

帰り道、スマホをいじりながら考えた。俺のアンテナの故障か、書店の問題か。1時間を潰してしまった不満を、書店の問題に昇華してみる。

 

品揃え・レイアウトの問題

そもそもEC隆盛の時代、わざわざ足を運んで書店で本を買うのには理由がある。書店の価値は、あらゆるジャンルの本が歩くだけで把握できるレイアウトにある。そこで思わぬ本に出会うわけだ。この「目に留まる」という体験は、Amazonをはじめとするネットショップでは提供できない価値であろう。

 

ネットショップではあらかじめベストセラーがランキング順で表示され、自分の閲覧した記録から、いくつかの本がリコメンドされる。画面に表示される本がベストセラーや関連本だけでは、自分の意識の外にある、偶然見つけた面白そうな本に出会うわけがない。

 

欲しい本があって、それを探すには圧倒的にネットが便利だが、思いがけない出会いは期待できない。

 

しかし、ここのところ書店のレイアウトがネットに寄せてきているように感じる。だいたい書店で積まれている本がおなじみの顔ぶれだ。

 

ニュースをわかりやすく解説する男。外務省出身のごつい体躯の角刈りの男。時代の寵児ともてはやされ言動に注目が集まる実業家。右派に人気のスキンヘッドベストセラー作家。

 

どの書店のあらゆる導線にも、彼らの本は当て込められている。書店は一体、読んでほしい本を売っているのか、はたまた売れている本だから置いているのか。ビジネスなのだから当然後者だろう。であれば俺はお呼びでない客だ。

 

本がネットで要約されている問題

特にビジネス系の書籍に多いのだが、大概の本はネットで誰かがまとめてくれている。こういう本はポイントさえわかればいいから、要約さえ読めれば問題ない。

 

また最近は出版前の本も、出版社がプロモーションを仕掛けている。便利なことに「こんな人にオススメ」とターゲットも絞りに来ている。

 

Youtubeあたりでは、動画を使って読んだ本の解説まで丁寧にしてくれるコンテンツもある。

 

こんな手厚い読書サポートがある世の中では、気になる本があったとしても買わない。まずネットでどんな本かを調べるからだ。調べなければいいが、買って損はしたくないから無意識に確認してしまう。

 

かくして気になる本も調べてから買うという奇妙な行動を生むようになった。

 

映像化されすぎている問題

 小説コーナーは立ち寄るだけで辛い。帯に俳優の顔が登場するのである。想像を楽しむコンテンツに映像をはめることで台無しだ。

 

久しぶりに太宰治でも読もうかしらと作品を手にとったら、小栗旬がいるではないか。映像の影響度は計り知れない。脳内に刷り込まれたら、否が応でもイメージが湧いてくる。俺にとっては恐怖でしかない。

 

そもそも昔から映像化したら小説のカバーに俳優が映っていた。最近は更に増えていると感じる。映像コンテンツがもっと身近になったからだろうか。チャンネル数が増えているからか。番宣だとしても、本のカバーや帯に主演の顔を入れないでほしいと切に願っている。

 

最近の書店の問題点、もとい書店への不満を列挙してみた。

 

こうなってくると書店で宝探しが始まる。なんとか面白そうな本がないかを隈なく探し回るわけである。気がつけば1時間も滞在している。

 

ふらっと立ち寄って、目に留まるなんてことが期待できない。

 

本を探す作業になっているなら、もはやネットでいいだろうという結論になってしまう。しかし残念ながらそれでも俺は書店に行くだろう。俺にとって書店には別の価値がある。

 

ページをめくる感触と本から放たれるかすかな紙の香りだ。気持ちを落ち着ける、俺のルーティンだ。

 

だから失くなっては困る。ネットでしか本が買えなくなっては困るのである。

 

だからこそ言いたい。「ネットに寄せるな。有名人の書いた著書に忖度するな」と。